【次回 12_高校生最後の夏休みの始まり(昔話)】
大会の後片付けをしてる時に 国体の四国ブロックをシングルで出るようにと言われた.
その時,僕は付フォアのCOXで出たい!と答えた. 当時ビールのCMでエイトが出ていてCOXに焦点をあてていた.
非常にかっこよかったので(笑) そんな短絡的な理由
でもIHシングルの代表なんだから出なさい!
えーー
COXカッコイイ!
そういった問答があり,結局シングルで出る事に 頑固な顧問も困った顔をしていた(笑)
コーチから細かく指定されたメニューをわたされた. レート指定された,ロングインターバル.
ピッチ計の存在は知っていたが,持ってなかった. その時初めて自分の主張をしたのを覚えている
レート管理して練習したいので,ピッチ計をかしてください!
と
当時県ボートを管理していた人に直談判した そしたら以外にも
いいよ!
と言ってくれて
自分が使っている艇にデジタル表記される機械がついたのだ!! それからのトレーニングは質がとてもあがったような気がする.
メニューは至ってシンプル
30min*3 ロングインターバル+ショートピース(500m*4など)
1set SR22/24/26
2set SR24/26/28
3set SR26/28/30
というのを1000mコースの中で3分割して 各セット30分ずつ計90分
コース端に着いたら即座に回艇 大体20km弱ぐらい毎日漕いでいた.
梅雨の季節
雨の中ひたすら漕ぐ
コースで周回していると他の艇にすれ違ったりするので 距離を縮めて抜く
そして練習中はどんな艇にも抜かれないという自分ルールを決めていた.
そんな日々だった.
聞いていると国体本選にシングルで出れるのは2/4県
つまり愛媛は無理としてもあの高知の彼には勝たないといけない
ならば前回の借りをかえしてやる!!
2000年6月中頃のこと